考え方のヒントの記事です。
息子が不登校になって悩みながらYoutubeを回遊していた時、たまたま目に入って視聴したら、とても腑に落ちて「その通りだわ!」と、私の心を一気に落ち着かせてくれました。
成田さんご自身は、お子さんをお持ちでないので「無責任な意見」と含み置きながらも、とても愛のある提言だと思いました。
今の私の教育方針は、この考え方にのっとってます。
動画紹介:「社会性のない子どもを育てたい」データ×教育の専門家、成田悠輔の子育て論
成田教授について
成田教授について、私はさほど詳しくないのですが、私の知っている範囲ではこのような方です。
- 機能不全のご家庭で育ち、お父さんが失踪されて、お母様の女手一つで育てられた。
- 長男で、弟さんがいらっしゃる。弟さんは慶應卒でスタートアップの社長さん。
- 麻布中高をご卒業。ただし、睡眠障害でほぼ不登校だった。
- 学生時代は、学校外のコミュニティに居場所を見出し活動していた。
- 東京大学で学士、修士課程修了(経済学)マサチューセッツ工科大学(MIT)にてPh.D.取得。経済学者。イェール大学アシスタント・プロフェッサー←学歴最高峰エリート
- 専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。☜ポエムがどう関係してるのか気になってます
- ひろゆきさんと仲が良さそう
KPIを無視する力を育てる教育方針
成田さんの発言と私の考えを、切り分けて書くのが難しかったので、成田さんの発言そのものはイタリック(斜め)、それ以外は通常のフォントで書いています。
KPIとは:この文脈では世間一般の価値基準/評価指標(偏差値・学歴・資産額など)
KPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)は、事業目標を達成するために実行すべきプロセスが、適切に実施されているかを数値化して評価する指標です。この文脈では、「世間一般の評価指標」という意味で使われてます。
学歴、偏差値、資産額、年収、肩書き等ですね。
「世間一般常識」としていかにも客観的な指標のように扱われているこれらの価値指標(学歴・お金・職位など)は、冷静に考えたら、人の幸せにとって、そんなに重要でもなく、特に根拠もない(「お金がたくさんあったら、多分幸せだろう」という当て勘レベル)。
かなりの部分が間違った評価指標にも関わらず、これらの指標を自分の心に刷り込んで重視しすぎたことにより、その指標と自分を見比べて、「今の自分は足りていない」と思い込み、不幸になっている人がとても多い。
強制された価値観の中のわかりやすい価値指標での競争は、それがたまたま得意だった人以外、人生を費やすほど重要な価値指標ではない。
刷り込まれたKPI価値指標にしたがった競争に勝利することが、たまたま得意な子もいるけれど、得意ではない子にとっては、そこでの勝利にこだわるのは、どう考えてもコスパが悪い。
私は、ビリギャル的に「なんでこんなことしなきゃいけないのさ!」とイヤイヤながらKPI的価値指標を受け入れて競争した後、今は息子愛に翻弄されている主婦です。
学歴も職歴も今やりたいこと(息子の教育)に全く関係ありません。
合わない子にとっては、コスパ悪すぎ。同感です。
(私見です)学歴は、インスタのセレブが食べてる外国の数量限定の”映えてる”お菓子のようなもの
最高峰の高みからでないと見えないものがあるのかもしれませんし、私はそれを見たことがないので、お前に語る資格がないと言われればそれまでなのですが、
日本で一般的に言われている学歴は「インスタのセレブが食べてる外国の数量限定の”映えてる”お菓子」みたいなものだと思ってます。
それをまだ食べたことがない人は
「食べてみたい!どんな味だろう!食べたって言ったらきっとみんなに羨ましがられるんだろうな〜」
と気になるもので、
一度食べた人にとっては
まぁ美味しいは美味しいけど、外国までわざわざ行って並んでまで買ってくるほどの美味しさでもないよね?
と思うもの。
そんな印象です。
たまたま近くにそのお店があってそんなに苦労なく買えるポジションにいたら、せっかくだから美味しいお菓子を買って食べてハッピーになるのはいいことだと思います
合わない価値指標から逃げ出す能力
今の教育では、価値観を問い直すことがあまりにも少ない。
既存の価値観を提示したり刷り込むだけで、そこから逃げる/その刷り込みを取り除くとなると、怪しい宗教みたいなところしかなく、正規の教育がそれを担えていない。
KPI的価値指標の取り除き方/そこから自由になる方法論を、教育のど真ん中に持ってきてもいいのではないか。
「目の前に100万円置かれた時にそれを気にせずにすむ人はとても少ない。そういう人間をどう作り出すか?」とおっしゃっていて、すごくわかるな〜と思いました。
私は、まず親が、経済的自立を「再現性のある形で」達成していく。同時にその工程を子供に見せるという家庭内での教育が重要だと思っています。
なので今は、そういう視点で、家庭内教育を行なっています。
負け犬の遠吠えでしょ?と思ってしまった方、ちょっと待って。
ニューロダイバーシティ児には、KPI的価値指標の競争(つまり受験)が、とても得意/その競争が性分に合う子がいます。成田さんご自身もそうですよね。
お子さんがそういうタイプで、今現在サピックス/浜学園/早稲田アカデミーエクシブ特進クラス、などに通われている受験真っ只中(競争モードON)のの親御さん等は、ここまでの話に
負け犬の遠吠えでしょ?
ワイの子は勝つんや!勝ち続けるから関係ないんや!
としか思えないと思います。
それに、ニューロダイバーシティ人口割合が多く似たような子と交流を深められるコミュニティ(御三家等)でマジョリティ側として青春期を過ごさせてあげたいという配慮は肯定されるべき親心だと私は思います。
今の日本社会では、子供に、受験という競争を全くさせずに生きてもらうことはほぼできない仕組みになってますから、どうせどこかで腹括ってやらなきゃ(やらせなきゃ)いけないのが現状です。
- ギフテッド型のND児だから、同じような子が集まるところに置いてあげたい
- 競争にとても弱いニューロダイバーシティ児だから受験は一度で終わらせてあげたいから、大学附属校を受験させたい
一部分を切り取って批判する向きもありますが、どの選択も親が「これで正しいのか」という葛藤に打ち震えながら、懸命に決断して導いている選択です。
子供を思う親心ゆえです。
実際の葛藤も経験しておらず
「じゃあどうすればいいの?」も提供せずに
一部分だけを切り取って批判するって、
随分と自分棚上げ力の高い視線じゃない?
実際に小中学生の子供を育てて見知った社会の現状を踏まえると、少なくとも、私にはとてもそんな無責任ボールは投げられない
受験はある程度視野を狭めないと、頑張る意義を子供が見出せなくなってしまうと思うし、子供が今無垢な気持ちで走っている線路を否定するような残酷なことはしない方がいいというのが私の考えです。
逃れられないシステムなので、今その価値指標を否定する必要は全くない。
今はそのまま突き進んでいただくのが最善です。
KPI的価値指標の競争にそれ以降も苦なく楽しく乗れてるなら、なんの問題もありません。
現在の社会では、それが親にとっても安心感があるし、お子さんの人生がマリオのスターモード(他人から一定の尊敬を集めたり、羨ましがられる職に就いたりできる可能性が高くなるという意味)で進める可能性が高いのは、紛れもない事実です。
ただ、何かのきっかけで、その価値指標の競争レールから脱落が危ぶまれることがあるかもしれない。もし仮に、そういうことがあったとしても、
まぁ想定の範囲内ですね(๑•̀д•́๑)キリッ
と落ち着いていられる想定を持っておくことは心の支えになると思います。
え、かえってラッキーじゃん!
という感覚で、明るくお子さんを導いていける教育方針がこの世にはもう存在しています。
そして、今後その受け皿も増えていくと思います。
私もその受け皿を作りたいという思いで、このサイトを作りました(微力ですが)
色々な人が動いてます。
だから、大丈夫。
このことは、ふとした拍子に、頭の片隅で思い出してもらえたら、と願っております。
逃げ場の確保:複数コミュニティを与えてあげることの大切さ
リアルなご近所さんとは隔絶された、全く違う方向を向いている、複数の、互いに独立した別個のコミュニティを子供に与えてあげることが大事だと思う。
学校と塾のように価値基準(勉強していい学校に行く)が同じものではなく、盆栽とか全く価値基準が全く異なるもので、互いに絡みがない独立したコミュニティがいい。
1個で死んでも、1個残れば大丈夫という安心感を子供に与えてあげて、全てを相対化しつつ、その瞬間瞬間は1つのことに没頭する環境を作ることが大事。
「自立とは、頼れる先を増やすこと」ですよね。その通りだと思います。
体感的には、小学校くらいまでは、それを意識して誘導することができると思います。しかし思春期に入ってくると、親の力で複数コミュニティを提供するのは難しいです
「自らコミュニティに入って、入ったコミュニティをつかず離れずの自分に心地よい距離感で維持する」
これは実は、とてもハイレベルな社会的行動なのです。
このプロセスを細分化して、スモールステップで導く方法はなんだろう。。。
それを日々考えています。アドバイス歓迎。
ニューロダイバーシティ児は、繊細で立ち回りが下手なのでどうしても傷つく経験が増えてしまい、閉じこもりがちです。
そして、人/コミュニティに対する警戒心が強いので、なかなか新しいコミュニティに入っていくのが難しい。
一つのコミュニティ(学校など)に乗っかっていっていれば、自然と「友達から聞いた」などで新しいコミュニティが広がる可能性が高いから、登校してほしいと親は思うのです
でも現状で、学校というコミュニティに乗っからない意志が固い(それも理解できます)場合、全く真っ白な状態から、新しいコミュニティにポンっと丸腰で入っていかなければならないことになります。
そのハードルがあまりにも高い!高すぎる
フリースクール☜試しました。目的はあくまで学校類似なので、これに乗れるのは「今の学校は嫌いだけど、学校システムみたいなものは許容」な子です。
うちの子は、「今の学校の人達大好きだけど、学校システムは拒否」な子。
そういう子達の居場所(そしてその居場所にいつくようになるまでのステップを後押しするリソース)が、圧倒的に不足しています!
政治家の方々、どうにかして〜!
教育の目的設定と手段は別物。2つを混同しない。
何を教育の目的とするのか(価値判断・目的設定)☜必要なツールは「思想・哲学」
今は、教育というものを必要以上に狭く捉えすぎていると思う。
所謂カリキュラムに従って勉強するものだけを勉強と捉えているふしがあるけれど、生きているだけで学んでいる、生きているだけで教育されている部分がある。
ゲームでも、マルチプレイでオンラインの協業のシュミレーション、人のキャラクターをオンラインインターフェイスからどう読み取るかなど、学んでいることは沢山ある。
学校の教科勉強をそんなこんなで捨ててますので、私の中での教育は、「生きるために直接的に必要なもの」が最優先です。
具体的には、『衣食住+稼ぐ力』です。
ゲームも教育の一部というのは、私も同感です。
現状、コミュニティ類似のもので、本人が自主的に入っているものは、オンラインゲームしかありません。
昼夜逆転は良くないのでWifiの時間は管理したとしても、オンラインとはいえ人とのコミュニケーションを持てるなら、全く持てないよりずっとマシ
でも、ゲームコミュニティは、そこからの展開がありません。リアルへの発展性を誰も求めてない文化のコミュニティだからです。
そこが悩みどころ。。。
目的を達成するために、何が有効なのか(手段)☜必要なツールは「データ・エビデンス・試行錯誤」
目的至上主義的な発想は結構大事で、データ・エビデンスは、「与えられた目的(収入・成績)のために有効なもの/有効でないものを振り分けて、無駄を省く」という意味では役に立つ。ただ、目的設定のツールではない。
目的設定と手段は、全く別のもので、それぞれ使うツールが違うから、混同させないようにしないといけない。
ここは、成田教授の専門分野ですから、「サバイバル重視」具体的には「職業準備性ピラミッド」を重視した教育においての、データ・エビデンス・試行錯誤の活用法は、親の助けになるご提言いただけたら嬉しいですよね。
成田教授に届け❣️