考え方/気持ちの整理

子のプライバシーと親の世界を広げること(人との出会い)の大切さのバランス

さらり

考え方のヒントの記事です。

私は、自分の世界を広げたいけど、子のプライバシーとは守りたいという葛藤を長年抱えてきて、結果的にプライバシーを重視して閉じる生活を選んできました。

この葛藤に関して、オンラインコミュニティで、共感してアドバイスをくださった方々の言葉が、私にとって心の整理になり、とてもありがたかったので、同じような悩みを持つ方のヒントになればいいなと思い、共有します。

私の悩み:子供のプライバシーを大事にしたい。そうすると自分の世界は閉じたままにならざるを得なくて・・・。開きたいけど、どうしたら?

悩みの内容

うちの子は、いわゆる高機能と呼ばれるゾーンで、知能が高めで、傍目からは障害とわかりません。

こちらから障害とか家の中での苦悩を話さなければ、周りの人は「おそらく。。。」と察しはしますが確証までは持ちません。

ラベルを貼れば、子供が色メガネで見られてしまうリスク(孤立に向かわせてしまうリスク)があって、子どもにとって良いことがないから、主治医以外にははっきりさせない状態(もちろん主治医とは腹を割ってお話します)で、ピンポイントの困りごとだけ都度協力を仰いで解決していく、リアルではそういうスタイルでやってきました。

発達障害の子と親は、悪気はないけれど心をえぐる評価/批判にさらされやすい(障害そのものに対する偏見、干渉しすぎだ/放任しすぎだ、こうすればいいのに/しなければいいのに、誰だって●な時はあるから障害じゃない)ですよね。

私も紆余曲折あって、こればかりは経験した人にしかわかるわけないからと、人から理解を得ることを諦めた結果でもあります。

とにかくできるだけ息子が孤立しないよう/好意的でいてもらえるよう/協力を仰げるように、悪いことは話さず笑顔でだまって、「わたしがこうして時間稼ぎをして環境を整えてあげられる間に、どうか子どもの社会性が成長してくれますように」と祈りながら頭を下げて回る。

それが私の日常です。

人知れず報われないエンドレスな努力で空っぽになった時は、匿名のSNSで同じ状況の人と吐き出しあったりして、とても助けになったこともあります。

ただ、それはお互い匿名というのが非常に大きいと思いました。

オフ会に行ったとして、もしリアルの知り合いに会って、私が愚痴っていた内容と息子が紐付けられてしまったら、私は自分のエゴのせいで息子のプライバシーを守れなかった/将来に影響はないだろうかと罪悪感/心配を感じてしまって、楽しみよりも苦痛の方が大きくなってしまいます。

子どもがまず守られていなければ、楽しさを感じることができません。

一方で、私という人間は「発達障害の子の母親」というだけではない、自分個人を大事にしたい、という気持ちもあり、一個人の興味関心を別のチャット等でお話しすることは楽しく癒しになります。自分だけの人生だったら何の躊躇いもなくオフ会で人に会って話したり自分の世界を広げたいです。

でも、オフ会でもしリアルの知り合いに繋がったら/繋がらなくても子供が特定できてしまったら、というリスクはなくならないので、躊躇してしまうんです。

同じ悩みを持つ方もこちらにはいらっしゃるかもしれません。

いい線引きの形、ご意見伺えたらなと思って。

まとまらない文になってしまったのだけど、「こうしたらいいよ」等アイデアがあれば、教えてください。

いただいたご意見

今の自分がやりたいことに”適切な範囲で”リソース(時間とお金)は使う。但し子供に悪影響が出ないように、最大限の配慮はす

子供のプライバシーのリスクも突き詰めてもゼロにはならないので、同じように感じていました。

ネット上で顔写真や氏名住所が特定されないようにするなど、安易に特定されるような情報は出さないように自衛はするけど、親が色々な人と会ったりストレス解消したりというような人生を楽しむことを止めるまではない、という温度感です。

「今の自分がやりたいことに”適切な範囲で”リソース(時間とお金)は使う。但し子供に悪影響が出ないように、最大限の配慮はする」という感じです。

親が人生を楽しんでる姿を子供にも見せることは良い効果を生む

親が人生を楽しんでる姿を子供にも見せることが良い効果があったのではと思っています。一緒に色々なものを見て感じて、私が友人と楽しく交流する姿を見せた方が、よいお手本になる、生きてて楽しいよということが言外で伝わるんじゃないかなと。

子供が障がいをオープンにするのかどうかは、本人に決定権がある

対外的に障がいを伝えるのか伝えずに過ごそうとするのか、そこは彼自身が決めることだろうと。

親が自分の楽しみの時間を持つことに罪悪感があった。人によってそれぞれ最適なバランスがある。

私も自分自身のことを後回しにして子供のこと最優先にすることが当たり前になっていて一人の時間、楽しみの時間も罪悪感がありました

でも自分も大事にしないと持たなくなってきて、今はサポートしてくれる方々、実家の家族にちょっと図々しいくらいに頼ってます。
自分も子供達も精一杯生きてるので他人がどう思っても気にしない。

私の場合は今の感じが心地よいですが、家庭や人によってもそれぞれ答えが変わるのではないかと思いました。

ケースバイケース:心配を超えるくらい会いたい人には会えばいい!

また、直接この質問への回答ではないですが、関連して、

プライバシーを重視しながら、実際に人に会う時の線引きについて

人と会えば会うほどリスクがあるのは確かで、プライバシーは貴重な資産の一つだから線引きが難しいところ。

「楽しそうだから参加したい」と思う気持ちと、出れば出るほどプライバシーはなくなるという心配の間で、ケースバイケースで考える。

心配を超えるぐらい会いたい!楽しそう!行きたい!と思った時には行く。

というご意見がありました(プライバシーに配慮して文面は要約しています?)

私の気持ちの整理

障がいのカミングアウトをどうするか決める権利は、子供本人のもの。そこへの配慮の結果として体得したプライバシーへの過敏性は、私のパーソナリティーの一部

こういった色々な温かいご意見を読んで、私は、自分の状況を自覚できて、気持ちの整理できました。

障害をオープンにするのか、クローズのまま行くのか、自分の内なる葛藤を人に話して理解してもらおうとするのか、仮面をかぶってプライド重視で行くのか、そういった彼自身の決定権を尊重したい思い/それを侵害してしまうかもしれないことへの警戒(?)が、自分の世界を閉じがちにさせてきたなと。

罪悪感やプライバシーへの過敏性は、長年の育児で染みついた(体得した?)私のパーソナリティの一部なんだなって、自覚しました?

自分が人生を楽しむ姿を見せることも大切。要はバランスで、そのバランスは、自分勝手に決めていい!

一方で、

私自身が人生を楽しむ姿を見せることが大事というのは、その通りだわと。

そして、その線引きは、自分の直感で決めていいものなのよね!と励まされた思いです。

自分の直感のままに決める/動くということがしづらい状況で、自分の感情/心地よさを後回しにすることに慣れすぎて、つい忘れがちになってしまいますけれど、

「誰のどんな直感も、そのまま認められていいもの」

なんですよね。

無理せず自分にとって心地よい線引きで、少しずつ開いていけたらいいなと思います☺️