この考えに至った(正確にいえば、自分の信念がこういう言葉で整理できた)のは、辛く長い理解されずに自分を見失っていた暗黒期を抜けて、一歩歩き出した頃でした。
独身時代:イケイケGoGoライフ→絶対的な価値を求めて結婚
結婚前は自分の人生を思いっきり謳歌して、全く後悔がない日々を過ごしました。
インスタグラムは当時なかったけど、20代の女性に流れている空気感は同じようなものだったと思います。
- 誰かの職位(給与)が上がる/結婚するたびにざわつく人間関係
- どの役員の後ろ盾があるのないのの社内政治ゲーム
- より高級そうな店に行く方がかっこいい的マウンティング
- 彼氏の家柄/エリート度/年収比べ
- 必死で頑張りながら、いつもそこはかとなく隣にある虚無感。
上司たちや親の世代の大人を見ても、なんか同じようなことして同じような虚無感を感じてそうに見えました。
- エクスクルーシブな会員制クラブがどうのこうの
- 住所がどうのこうの、別荘の位置する通りの格がどうのこうの
- 子供の学校名や学費
- ゴルフ/テニスの会員権の格のどうのこうの
きっかけはよく覚えていなくて、多分積み重なっていたと思うのだけど、何かの拍子でその虚無感に耐えられなくなった時が来ました。
この頑張りの延長線上にあるものは、どこまでいっても即物的なものってことですよね?
そんなどうでもいいもののために、私はもう頑張れない。
どうせ頑張らなければいけないなら、
もっと純粋で、堅固で、絶対的な価値のために頑張りたい!
そんな啖呵を切って家を出て、
- その時点で最も即物的なものを持っていなかった。
- 自分の即物的な外側の価値が全く視界に入っていない/どうでもいいと思っているように見えた(魂が綺麗な人だと思いました)
- 自分の中身だけを見て、それを一番愛してくれて、一番結婚したがっていた
- とても頭が良く私が知らないことをよく知っている
- 実質引きこもりニートの同級生
と結婚しました☺️
結婚した時のことを思い出すと
誰にも羨ましがられなかったし(笑)
「妥協して結婚するくらいなら私は結婚しない」って女性の同僚に言われたり
「あなたはもっと頭のいい人だと思った。頭のいい人は人生の重要な選択で馬鹿な失敗はしない」と親戚に言われたり
男友達には「お前って案外いい奴なんだな」って言われたり
色々悲喜交々あって?、自分に即物的な利用価値のなくなった状態を経験しました。
一部の人には惨めな人って思われてたと思うのだけど、私の中では
「ほら。即物的なものの上に積み上げたことなんて脆くて弱くてすぐなくなるじゃん。やっぱり思った通りじゃん。ざまーみろ」
と思ってました。
そうして、離れた人は離れていき、残った人は残りました。今も残っている友人は、ほぼ中学生の時の女友達です。(☜だから息子には中学に行ってほしい。しょうがないけど)
そして、小さなアパートで「どうしてお弁当のプチトマト食べてくれないの?」みたいなことで喧嘩する、「何にもない小さな幸せ」な日々を過ごし、出産。
この記事を書いたことで気づきがありました。
後に結婚生活は破綻するのですが、出発点を考えると結婚後の彼の頑張り(即物的アチーブメント)はすごかったなと。
今までは「なんで子供が産まれて一緒に過ごす時間が大事だって時に、今更遅れて一人でグレートギャツビーしようとしてんだよ。大事なことがわかってない。馬鹿なのか??」と一方的に思って怒り呆れていたのですが、
彼の視点からしたら、私が結婚で失ったもの(と彼が思うもの)を取り戻してあげようと思ったのかもしれな?
どうしてボタンがかけちがってしまったんだろう。私たちはとても美しい絶対的な何かを一緒に作れるかもしれなかったのに。。。
(捕捉)
彼の意図がどうだったにせよ、具体的に行った行動は、私の人格をほぼなくなるレベルまで削り取ったのは事実。
その後、今に至る姿勢も、がっかりを通り越して「こんな人間いる?」レベルにまで到達しているので、再起は不能です?
家族のために:仕事を辞めて育児と向き合う
私というふわふわ浮いていた船に、巨大な錨がズドーンと落とされて、全ての迷いから解放されたような神聖な感覚でした。
家族を持つと、自分の考えだけではなく「家族のために生きる」というペルソナが加わります。自分のことなんてどうでもいい。子供が何より一番大切。
「子供のために一番良い選択が、私にとって最善の選択」
自然とそうスイッチが切りかわりました。
ニューロダイバーシティ児とは後で(9歳ころ)わかったけれど、
当時は「あれ?」と思って周りの先生たちに聞いても「そんなことないわよ〜元気なだけ!」と励まされ、
「プロが言うならそうなのかな。みんなが上手で私がポンコツなだけなのかな?」
とやたらと大変で疲れるワンオペ育児を必死でやっていました。
子供が2歳の頃、最愛の父親を亡くしました。
前日に電話で他愛もない話をして、元気だったのに、翌朝心筋梗塞で亡くなりました。全幅の信頼を置いていた悠久の大山のような父親が突然いなくなったことで、私は人生の羅針盤を失ったような気持ちになりました。
今までの人生で最も悲しかった出来事です。
今振り返ると、この深い悲しみには、本当にゆっくり時間をかけて十分に向き合うべきだったと思います。
ただ、当時は、仕事も育児も両立させようとしていて、葬儀の数日後にはもう仕事に戻らなければいけませんでした。
多忙を極め、ベビーシッターの方を2交代で雇ってなんとか回したのですが
「私は絶対的な価値のために働いているはずなのに、絶対的価値であるこの子が、なぜこんな生活をしなければいけないのか」
「私は何をやっているんだろう」
とまたしても虚無感に襲われていた時
311の地震があり、「こんな生活は確実に間違っている」と確信して仕事を辞めました。
その後は、ともかく
「子供のために家族の調和を守ることを最優先にして自分を引っ込めて黙る」それが「置かれた場所で咲きなさい」ってことなのよ
と自分を納得させて過ごしていました。
(略 いろいろありまして ?笑)
暗黒期:キャパオーバーでダウン
理解も認識してもらえない/伝わらない環境で「子供のため/家族の調和のため」と思って、必死で笑って誤魔化して、心の傷はひたすら沈黙して忍耐しつづけました。
「沈黙は金」って言葉を、その頃はよく使っていたな、と振り返って思います。
そうこうしている間に、自分の中で知らないうちにキャパシティが限界になって、助けを求めてもなかなか得られず、人を責めたり、恨んだり、斜に構えたり、涙を流したり、閉じこもったり、情けなくなったり、うまくいかない辛い日々が続きました。
HPも自己肯定感もほとんどゼロになりました。
「あなたは今生きていることが不思議なくらいだ。」そう言われた時
「ほんとだわ?」と、ストーンと何かに納得しました。
私はずっと沈黙して忍耐することが正義だと信じて疑わなかった。
そういう自分でいる以外の選択肢が見つからなかった?
振り返ってみれば、「洗脳」というのに近かったと思う。
- なぜ納得感を自分で与えていたのか
- なぜ諦めて逃げなかったか
- なぜ客観的におかしな状況に、正当な理由を一生懸命探してつけていたのか
説明できないからです。振り返ると謎だらけの不思議な感覚です。
洗脳した人を責めるというよりは、そういう状況を作り出した責任の一旦は自分にもあるし、自己洗脳が担ってしまった部分が大きかったと思います。
自分が沼にはまっていたということは、沼から出て始めてわかるので、渦中の時にはわからないものなのですね。
再始動期
そう思ってとりあえず動き出すと、
- なぜ?なぜ私はこんなに納得できないんだろう?
- この人の何が私の怒りをトリガーしているんだろう?
と客観的に自分を見つめる余裕が出てきました。
そういう時間の中で、自己肯定感が少〜しずつ回復してきました。
原因自分論で一歩踏み出しても、中にはどうやっても、なぜかわからないけど、自分の黒い心がトリガーされてしまう存在というのもいます。
きっとまだ解き明かせていない自分の中の何かがあるのだけど、ダメージを喰らってまで解き明かす必要もない相手なら、
「ちょっと相性悪いみたいですね。てへ☺️」
と視界に入れない場所に自分から離れていけばいいだけです。
現在の価値観:自分に正直に積み重ねたものだけが、自分にとっての資産になる。色々な価値観/美学に触れたいです。
他人を攻撃しても、自己肯定感は上がらないし、他人のプラスにもならない。
誰の得にもならないことに自分の時間とキャパを浪費するのはもったいないから、やらないと決めてます。
その全ては自分が自分の意見を構成する参考になり、自分の考えをより強くすることができる。
自分の人生を正直に真摯に生きている人達の意見を聞かせていただくことは、
大事なことだし、純粋に大好き?
人間だもの、アップダウンも横揺れもあって当然。
偉そうなこと言って、カウチでポテチ食べてる日もしょっちゅうあるし、将来の不安に苛まれる日もあります。
これからもブレブレになる時や何らかの危機はいくらでもくると思う。
でも、「BE YOU, FEEL YOU, DO YOU」の美学は、いつでも大切に胸に置いておきたいと思っています?
40代の今は「ニューロダイバーシティ教育」に夢中
40代の今の私は、男女をほぼ認識しなくなり(生物的に更年期や閉経が近づき、もう出産とかあまり関係ないから興味なくなるからかも)
子供の教育(KPIを無視する力を育てる)に夢中?
40代50代はどういう自分像を目指すかな〜、そう思っていた時にタイムリーなこの作品。とても良い作品なので、観てみてください!
ニューロダイバーシティ育児をする親のサバイバル術については、こちらをご覧ください。